こんにちは。
留学アドバイザーのMANAMIです。
6月12日はフィリピンの独立記念日です。
6月に入ってから、お店や、レストラン、バイク、ジプニー、車など色々なところでフィリピンの国旗が掲げられ、目にすることが多くなりました。
今回は明日使える豆知識・フィリピンの国旗について紹介します。
フィリピンの国旗の意味
みなさんによく馴染みのある国旗はこちらでしょう。
白=平等・友愛
青=真実・正義
赤=愛国心・勇気
太陽=自由
星=ルソン諸島、ミンダナオ諸島、ビサヤ諸島
を表します。
実は反対になる!?
実はこの国旗、フィリピンが戦争中になると赤と青のが入れ替わるんです。
「愛国心と勇気」を上に持ってくる形になります。
この国旗を見ることがないようにしたいですね。
フィリピンの国旗のデザインと歴史
フィリピンは戦争のたびに国旗が変わるだけでなく、何度かデザインも変わっています。
フィリピンの歴史とともに紹介していきたいと思います。
1898年〜1901年
1898年5月28日、エミリオ・アギナルド将軍が香港で亡命した後、カビテのアラパンで再びスペイン軍との戦いに従事しました。
フィリピンの国旗が革命的な標準として最初に展開されたのは、この小競り合いの中でした。
フィリピンの駐在員によって香港で縫われ、アギナルドによって国に持ち込まれた、旗は3つの黄色い星と人形の8線の太陽を囲む白い三角形で赤と青を特色とする三色でした。
半年後の1898年6月12日、スペインからの独立宣言を受けて、カビテのカウィットにあるアギナルドの住居で、この旗が振られました。
フィリピン革命戦争を通して、フィリピンとアメリカの戦争の終わりを迎えたアギナルドの捕獲まで、このデザインの側が使用されていて、戦争の状態を示していました。
1901年〜1907年
6年間、フィリピンの旗とカティプナンの他の旗そして紋章は拡散され続けました。
それに応じて、アメリカ人が主導するフィリピン委員会は、法律第1697号または1907年の旗法を可決し、フィリピンの旗の表示を違法とし、その国の旗をアメリカ合衆国の星条旗に置き換えました。
また、国歌の演奏を禁止したのです。
なので1907年〜1919年の間はフィリピンにアメリカの国旗が掲げられることになります。
1919年〜1936年
最終的に選出されたフィリピンの代表者や上院議員の手に渡るフィリピン議会が総督フランシス・バートン・ハリソンの努力を通して旗法を廃止し、国家の公式基準としてフィリピンの旗を復活させるまでに11年かかりました。
アギナルドの旗にも修正が加えられ、太陽はもはや擬人化された特徴を持たず、その光線は様式化されていました。
このデザインは1919年から1935年にフィリピン連邦が発足するまで使用されます。
1919年から1941年まで、フラッグ法が廃止された日を記念して、フランシス・バートン・ハリソン総督によって発行された宣言第18号によって、毎年10月にフラッグ・デーが祝われました。
1936年〜1941年
第二次世界大戦のより、赤のフィールドを上にして国旗を掲げるよう命じられました。
その後また、太陽が擬人化された国旗に戻ったりしました。
1985年〜1986年
フィリピン国旗のネイビーブルーからライトブルーに変更。
これは国旗に使われていた元々の青色について歴史家たちが長年議論してきたことでした。
議論されていた色はキューバの国旗にもしようされているキューバブルー、スカイブルー、ネイビーブルー(アメリカ国旗の色)でした。
しかし、ライトブルーへの変化はフィリピンの住民からは不評だったそうで約1年で終了しました。
1998年〜現在
第8491号「フィリピンの旗と紋章」が制定され、国旗の青の色が変わりました。
これが現在でも使用されている国旗になります。
色々な歴史や変化のあったフィリピン。
他国に占領されたこともありましたが、それを引きずることはなく明るく前向きに生活しているのはフィリピン人の人柄の良さを表しているように思います。
いつも何気なくみている国旗ですが、意味や歴史を知ってみるとまた、違ったフィリピンを知ることができますよね。
セブ島にも博物館や、フィリピンの英雄の像がある場所がたくさんあります。
一度足を運んでみるのも良いかもしれませんね。
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